2009年5月27日水曜日

『現実的』とはなんだろう

前回の日記だけ読み返すと環境問題について僕の見解が誤解されそうなので追記させてほしい。


僕自身、低炭素社会、脱化石燃料という方向性自体には賛成している。

莫大なエネルギーが太陽や地底から無尽蔵に(漸近できるスケールで)勝手に供給されているのに、石油や石炭、放射性物質といった恐らく有限で、しかもある程度、『リスキー』なエネルギーに人間社会が頼り続けるのは不自然だと思う。

こういった見解を口にすると必ず『現実的でない』という旨の意見がでるが、いわせてもらえばこうしたクレームは詭弁でしかない。

石油産出国に莫大な金をばらまいて、さもなくば軍事力で征服して(いずれにせよ計り知れないリスクと犠牲を伴う)リソースを獲得することや、一つのユニットの解体に何千億というコストを費やす原子力施設を、後世に放射性物質の恐怖とランニングコストの負担を強いることを覚悟で建設するところの何処が、『現実的』なのだろうか。『現実的』、という、何の論拠もなく使える都合のいいことばを多用する人間には注意を払うべきだ。

確かにクリーンエネルギーには『安定供給』や『コストパフォーマンス』といった課題が突き付けられているのは事実である。しかし、こうした課題というのは現在使用されているエネルギーリソースについてもかつて存在し、そして克服してきた課題であるし、恐らくは(克服しようとする意思が存在すれば)、克服できるだろう。
そこまで人間も落ちぶれてはいないはずだ。

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