2008年9月7日日曜日

テレヴィの時間

私はテレビが好きではない。

昨今のテレビ番組にはつくづく愛想を尽かしている。というよりかは私は幼少期からテレビに退屈で、窮屈な印象しかもっていなかったと言う方が正解かもしれない。ニュースは肝心な事を尽くやってくれないし、バラエティ番組は私にとってどこか苦痛だ。3の倍数と3のつく数字で『アホになる』彼の顔は、知的障害者が良くする素振りを真似しようとしているのだろう。『グゥ~』を執拗に繰り返す彼女は、何か神経症を患った精神病患者のようで、胸が痛む。

こういった心境になるのも私の姉(三女)が障害者手帳3級を取得していたからに違いない。幼少期に私は母につれられて姉がリハビリをする施設に通っていた。私は当時はかなりのやんちゃ坊主であり、近所の公園なんかに行っては荒れくれていた(何かしらの先天的な脳障害が疑われたが、まあそのへんは結果オーライである)。それなので近所の保育所や幼稚園から入園を拒否られ、母は仕方なくお荷物な私を連れて行っていたという訳だ。

私にとっての開かれた世界はその施設のみだったし、そこに収容されている人々やその家族や世話をする介護士や医者が世界の住人の全てであった。そういった彼らを奇異の目で見た事もなければ嗤う事もなく育った私は、テレビ画面に映し出された彼らを見ても特に嗤う事はない.別に『彼らが障害者を差別している!』といった憤りに駆られる訳ではないが、なにか漠然と心が痛む。

私に姉がいなければ、ああいった芸風を笑えたのだろうか。それならばこういうのはどうだろう。姉が通っていた施設を走り回っていた幼い私は、いつもは立ち入りを禁止されている病棟のバルコニーに足を踏み入れた。ある個室の窓が開いていたのでのぞいてみると、灰色の無機質な壁にかこまれた部屋の隅にベッドと椅子があった。ベッドに寝るのは30代の女性。椅子に腰掛けているのは歳からしてその女性の母親だろう。彼女はもう5年以上ベッドから起き上がった事がなかったらしい。私が物珍しげにその光景を窓辺から覗いていると、彼女の母親は小さな私にこう語りかけてきた;『動かないでしょ。あの子。もう笑う事もできないって先生はおっしゃってるの。でも時たまあの子、笑うのよ。ほんとよ。』

そこで私の提案である。二人組のコンビ芸である。ひとりはベッドに寝たまま、身動きひとつしない。もうひとりがその親族。身動きひとつしない相方を指差して『ほら!今笑った!本当よ!』と叫ぶ。なかなかシュールではないか。

ちなみに久米宏は自らパーソナリティーをつとめていた番組『ニュースステーション』の最終回でこう述べていた。
『私はテレビが好きです。なぜならばテレビは戦争を経験していないからです。』

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