2008年10月4日土曜日

CAPOTE

今日は不毛な一日だった。



朝から『ノルウェイの森』の続きを読みはじめた。
気取っている文体に嫌気がさす。
『デウス・エクス・マキナ』という単語と、『科白』という漢字をわざわざ当てている点が特に気取っていて印象に残る。

途中飽きが来たので東大生協書籍部によって目についた文庫本と連続対力学の本を立ち読みし、その中でも気に入ったトルーマン・カポーティの『冷血』を購入する。
そのままドトールでテイクアウトして三四郎池でカプチーノ片手にイントロだけ読む。東京の空はいつになく青く澄んでいて、少しマウナケアの空を思い出す。

東大生同士と思われるカップルが隣のベンチでいちゃついていてうざかったのでそのまま退散し、下宿で村上春樹の続きを読む。

昼下がりに母からメールが来る。『父とフェルメール展に来ているので一緒に上野に来ないか』といった旨だったが、『今日は外出する気分じゃないし、フェルメール展は人ごみの少ない平日に行こうと思うので行かない』と返信する。

そのあとはランダウの『統計物理学』と『ノルウェイの森』を同時に読み進める。我輩は時たまこういうことをする。


午後6時43分、『ノルウェイの森』、完読。中学時代以来通算4回目の挑戦で初めて最後まで読み切る。

すぐに文庫本をしまいテレビをつける。NHKで論語の素読を行う小学生の様子を報じていた。アップになっていた子供が非常に退屈そうな顔をしていて、笑えた。

両親が群馬に帰ったのと入れ違いに、実家から梨が送られてきた。
『よく熟れているので、早めに召し上がってくれ』とのこと
表面をランダムに覆う点状の模様に手を当てる。
弾力のある柔軟な手触りが、この生物の立場がが完熟と腐食の狭間にあることを教えてくれる。

どこからか聞こえる虫の音が秋を告げる。
西に傾いた木星だけが力なく輝く夜空のもと梨を喰らう。

2008年9月8日月曜日

ラヂオの時間

私はラジオが好きである。
昨今のテレビ番組にはつくづく愛想を尽かしている。という事には前回の日記で触れた。もちろん最近のラジオ番組にも聴くに耐えないような番組が多数存在するが、しかし一方で聴かなくては損だと思える番組も多数存在する。

ピーター・バラカンの『Weekend Sunshine』での音楽論評は恐ろしいほど的を得たものが多く、なんといっても選曲のセンスが抜群である(ライ・クーダーから加山雄三までカヴァーした他の音楽番組を、私は知らない)。小林克也の『Funky Friday』は私の思春期のよりどころであった。AMラジオでは永六輔の土曜ワイドを挙げないわけにはいかないであろう。

ところで永六輔は上記の番組中でこんなことを言った事がある。
『私はラジオが好きです。なぜならばラジオは戦争を経験しているからです。』
ちなみに永六輔と久米宏とはいわゆる師弟関係なのである。久米は現在永の『土曜ワイド』の次番組で司会をやっている。

2008年9月7日日曜日

テレヴィの時間

私はテレビが好きではない。

昨今のテレビ番組にはつくづく愛想を尽かしている。というよりかは私は幼少期からテレビに退屈で、窮屈な印象しかもっていなかったと言う方が正解かもしれない。ニュースは肝心な事を尽くやってくれないし、バラエティ番組は私にとってどこか苦痛だ。3の倍数と3のつく数字で『アホになる』彼の顔は、知的障害者が良くする素振りを真似しようとしているのだろう。『グゥ~』を執拗に繰り返す彼女は、何か神経症を患った精神病患者のようで、胸が痛む。

こういった心境になるのも私の姉(三女)が障害者手帳3級を取得していたからに違いない。幼少期に私は母につれられて姉がリハビリをする施設に通っていた。私は当時はかなりのやんちゃ坊主であり、近所の公園なんかに行っては荒れくれていた(何かしらの先天的な脳障害が疑われたが、まあそのへんは結果オーライである)。それなので近所の保育所や幼稚園から入園を拒否られ、母は仕方なくお荷物な私を連れて行っていたという訳だ。

私にとっての開かれた世界はその施設のみだったし、そこに収容されている人々やその家族や世話をする介護士や医者が世界の住人の全てであった。そういった彼らを奇異の目で見た事もなければ嗤う事もなく育った私は、テレビ画面に映し出された彼らを見ても特に嗤う事はない.別に『彼らが障害者を差別している!』といった憤りに駆られる訳ではないが、なにか漠然と心が痛む。

私に姉がいなければ、ああいった芸風を笑えたのだろうか。それならばこういうのはどうだろう。姉が通っていた施設を走り回っていた幼い私は、いつもは立ち入りを禁止されている病棟のバルコニーに足を踏み入れた。ある個室の窓が開いていたのでのぞいてみると、灰色の無機質な壁にかこまれた部屋の隅にベッドと椅子があった。ベッドに寝るのは30代の女性。椅子に腰掛けているのは歳からしてその女性の母親だろう。彼女はもう5年以上ベッドから起き上がった事がなかったらしい。私が物珍しげにその光景を窓辺から覗いていると、彼女の母親は小さな私にこう語りかけてきた;『動かないでしょ。あの子。もう笑う事もできないって先生はおっしゃってるの。でも時たまあの子、笑うのよ。ほんとよ。』

そこで私の提案である。二人組のコンビ芸である。ひとりはベッドに寝たまま、身動きひとつしない。もうひとりがその親族。身動きひとつしない相方を指差して『ほら!今笑った!本当よ!』と叫ぶ。なかなかシュールではないか。

ちなみに久米宏は自らパーソナリティーをつとめていた番組『ニュースステーション』の最終回でこう述べていた。
『私はテレビが好きです。なぜならばテレビは戦争を経験していないからです。』

2008年9月5日金曜日